峰定寺と花背の三本杉

だいひざんぶじょうじ大悲山峰定寺

峰定寺は、京都市左京区花背原地町にある本山修験宗の寺院。山号は大悲山。

平安時代末の久寿元年(1154年)、
鳥羽上皇の勅願により観空西念(三滝上人)が創建した修験道系の山岳寺院です。

本堂は懸造(かけつくり)とも呼ばれる舞台造建築。
崖地に太く背の高い柱を何本も立て、柱の間に貫を組み合わせ、上部の本堂を支える工法です。
この本堂や立派な入母屋造りの仁王門の造営には信西と平清盛が当たったと言われていますが、
現存する仁王門は貞和6年(1350年)の再建、本堂も同じ頃の再建とされています。

天明の大火(1788年)で京都市内の建物は全部燃えた為、
京都市で最古の木造建築となり、また本堂は舞台造建築としては日本最古のものとなりました。
ちなみに、清水寺の舞台は家光が峰定寺を参考に建て直したとされています。

舞台造の本堂

日本最古の舞台造による建築物。
崖に張り出す建て方で、清水寺の舞台の見本とされました。

千手観音座像

鳥羽上皇の念持仏の十一面千手観音坐像を本尊として安置。
これと脇侍の不動明王二童子像・毘沙門天像は、小像ながら都風の入念な作りで、
伝承どおり峰定寺創建時の作と見なされています。
後白河法皇が四方の土地を峰定寺のものとして、地元の薬屋に荘園として管理させたり、
一時期は久多が峰定寺の領域になった事もありました。
五摂家に代表される公家の人々は信仰として、ここを訪れてたようです。

金剛力士像

平貞能(さだよし)が寄付したとされる金剛力士像。
これには、長寛元年(1163年)の胎内銘が確認されています。

釈迦如来像

快慶の作、もしくは彼に近い仏師の作と伝わる釈迦如来像。
像内納入品から正治元年(1199年)の作であることが確認されています。

後西上皇

後西上皇

一時寺は荒廃していましたが、延宝4年(1676年)、時の後西上皇の勅により、
上皇の皇子である聖護院宮道祐親王が貴船成就院の元快に命じて、雨漏り補修などして伽藍を再興。
その後、皇室が峰定寺の管理を聖護院に預けた事が発端となり、
聖護院末の本山修験宗の寺院となりました。

峰定寺の本堂への参拝は、仁王門を通り、自然石が重ねられた400段程の石階段を登ります。
仁王門の中からは撮影不可。カメラや携帯電話はじめ、貴重品以外の荷物は全て受付で預けてから入山します。

雨の日は滑って危険なので入山禁止。
また子どもや団体の入山も不可とされていますのでご注意ください。

収蔵庫の内部の一般公開は5月2日〜5月4日、9月17日、11月2日〜11月4日の年3回。
9月17日には全国から約100名の山伏が集い、
「山伏問答」や「弓の作法」などを行う「採燈護摩供(さいとうごまく)」が行われます。

拝観・開館時間 9:00〜16:00(受付終了15:30)
見学所要時間 約30分
休日・休館 悪天候時・20人以上の団体は入山禁止、12月1日〜3月30日閉門
料金 大人500円(中学生から)、小人不可
予約 不可
収蔵庫特別拝観日 5月3日から3日間(不定)、11月3日から3日間(不定)、9月17日
大悲山峰定寺
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